値下げでは顧客満足度が上がらない理由|値上げで顧客が離れない条件
「値上げしたら、お客様が離れてしまう」
原材料費も人件費も上がり続けているのに、価格を据え置いたままの経営者から、この言葉をよく聞きます。
しかし、値上げを避けていれば、次第に利益が削られ、従業員の育成や待遇改善を行うこともできず、サービスの質を落とし、最後には顧客の離反を招くことになります。
帝国データバンクが2026年8月28日に公表した「価格転嫁に関する実態調査(2026年7月)」によると、コスト上昇分に対する価格転嫁率は39.9%でした。
そして「全く価格転嫁できない」と答えた企業は、実に11.9%もありました。
この背景にあるのは、「安いほうがお客様は満足する」という、いわば幻想です。
しかし実際には、価格が下がるほど満足度が上がるという、単純な関係にはなりません。
値下げが満足度を下げることもあれば、値上げをしても満足度が保たれることもあります。
本コラムでは、中小企業診断士として企業の顧客満足度の向上を支援してきた立場から、値下げをしても顧客満足度が上がらないのはどういう場面か、その理由と、値上げをしても顧客が離れない条件をお伝えします。
値下げでは顧客満足度が上がらない理由|値上げで顧客が離れない条件
結論|顧客満足度を決めるのは価格の安さではなく、品質と価格の対比
顧客満足度を決めるのは、支払った金額の絶対的な安さではありません。
商品やサービスの品質と支払った価格を対比したときの納得感です。
この納得感が保たれていれば、価格が上がっても満足度は下がりません。
そのため、経営者が判断すべきなのは「値上げをするかどうか」ではなく、コスト上昇分と、品質見合いの引き上げ分を分けたうえで、後者をどこまで乗せられるかです。
そして、値上げの理由をどう伝えるかによって、同じ値上げ幅でも顧客の受け取り方は変わります。
価格は「知覚価値」の一部として扱われている
日本のサービス業で最も広く使われている顧客満足度の指標に、日本版顧客満足度指数があります。
サービス産業生産性協議会が運営し、年間30業種前後、約400の企業・ブランドを対象に調査されています。
この指数は、顧客満足を単独の質問で測るのではなく、6つの指標による因果モデルで捉えています。
顧客期待、知覚品質(実際に利用して感じた品質への評価)、知覚価値、顧客満足、推奨意向、ロイヤルティの6つです。
注目すべきなのは、この6つの中に「価格」という指標が単独では存在せず、価格は「知覚価値」の定義の中に入っていることです。
この指数は知覚価値を、「受けたサービスの品質と価格とを対比して、利用者が感じる納得感、コストパフォーマンス」と定義しています。
つまり価格は、品質と対比される形でしか満足度に関わりません。
値下げは、品質への疑いを生むことがある
価格を下げれば、顧客が支払う金額は減ります。
しかし顧客は、支払う額が少なくなることをポジティブに捉えるのと同時に、「安くなったのは、何かが落ちたからではないか」とネガティブにも考えます。
理由は、価格には、支払いの負担という側面と、品質を推し量る手がかりという側面の2つがあるためです(商品による違いは後述します)。
前者だけを見て値下げを行うと、後者が働いて品質への評価が下がります。
結果として、品質と価格を対比した納得感、つまり知覚価値は改善するとは限りません。
顧客は価格の変化を、単なる金額の増減としてではなく、企業からの何らかの合図として読み取ります。
顧客満足度が高い顧客は、値上げに強い
一方で、すでに満足度が高い顧客は、値上げに対して強い耐性を持ちます。
満足度が高まるほど、値上げ幅そのものが再購買の判断に与える影響は小さくなります。
つまり、値上げに耐えられるかどうかは、値上げの直前ではなく、それまでに積み重ねた満足度によって決まっています。
ここで、値上げを2つに分けて考えます。
コスト上昇分の転嫁は、満足度の状態にかかわらず先送りできません。
一方、自社の品質に見合う水準まで引き上げる分は、改善を顧客が実感してからのほうが受け入れてもらいやすくなります。
つまり、顧客満足度が低い状態で後者に手をつけると、顧客の離反を招くことになりかねません。
多くの企業が、コスト上昇分を価格転嫁できていない
前述の帝国データバンクの調査は、2026年7月17日から31日にかけて実施され、1万518社が回答しています。
この調査が示しているのは、価格転嫁が進んでいないという事実です。
価格転嫁率は39.9%にとどまる
価格転嫁率39.9%という数字は、コストが100円上がったときに、販売価格へ反映できたのが約40円だったことを意味します。
つまり、残りの約60円は、企業が自ら負担していることになります。
内訳を見ると、5割以上転嫁できている企業は、合わせて33.9%しかなく、「10割すべて転嫁できている」が3.4%、「8割以上10割未満」が13.0%、「5割以上8割未満」が17.5%となっています。
一方、転嫁が5割未満の企業は53.8%であり、「2割以上5割未満」が17.4%、「2割未満」が24.5%、そして冒頭で触れた「全く価格転嫁できない」が11.9%でした。
なお、5割以上の33.9%と5割未満の53.8%を足しても100%になりません。
差分である12.3%は、そもそもコストが上昇していない企業などで、転嫁率を問う対象に含まれていないためです。
価格転嫁率は、前回調査から2.2ポイントの低下です。
コストの上昇に値上げが追いついていない状況が続いています。
価格転嫁できない理由と、転嫁しなかった場合に起きること
転嫁が進まない理由として、経営者から挙がるのは「値段を上げると高いと思われて、客数が減るのではないか」という懸念です。
競合が値上げに踏み切っていない状況では、自社だけが値上げすることへの不安はさらに強くなります。
しかし、コスト上昇分を自社で負担し続ければ、利益が削られます。
利益が削られれば、賃金を上げられません。
賃金を上げられなければ、人が少しずつ辞めていき、採用にも行き詰ります。
人が減れば、提供するサービスの質は落ちます。
サービスの品質が落ちると、やがて顧客が離反することになります。
つまり、価格を据え置き続けることは、企業にとって自らの首を絞めることになります。
後になってから値上げをすると、顧客満足度が下がる
価格を据え置く判断は、その瞬間には顧客への配慮に見えます。
しかし実態としては、コスト上昇の負担を自社の内部に溜め込んでいるだけです。
コスト上昇の負担を解消する方法は、以下の3つしかありません。
- 顧客に価格転嫁という形で負担してもらう
- 従業員に賃上げの見送りという形で負担してもらう
- 自社の利益を削る
値上げをしないという判断は、つまり、従業員か自社が負担するという意味です。
そして、値上げをしないという判断によりネガティブな影響が出てから、慌てて顧客にも負担してもらおうとしても、ほとんどの場合は後の祭りです。
営業時間の急な短縮、メニューの縮小、対応の遅れなど、サービス品質が低下してから値上げをしたら、顧客満足度が低下した状態で対価だけ増えることになるため、顧客にとっては、品質が保たれたままの値上げよりも大きな不満につながります。
値下げをしても顧客満足度が上がらない理由
ここからは、値下げが必ずしも満足度の向上につながらない理由を、順に整理します。
価格には、金銭的な犠牲と品質の手がかりという2つの顔がある
価格には、2つの顔があります。
顧客が支払う金銭的な犠牲であると同時に、製品やサービスの質を推し量る手がかりでもあります。
顧客は、支払う額を抑えたいと考えながら、同時にその価格から品質を読み取っています。
この二面性があるため、値下げは金銭的な犠牲を減らすと同時に、品質への評価を下げる方向にも働きます。
どちらが強く出るかは、商品の性質によって変わります。
品質が事前に分からない商品ほど、価格が判断材料になる
価格が品質の手がかりとして強く働くのは、顧客が事前に品質を判断できない商品です。
実際に使ってみないと質が分からない商品や、使った後でも専門知識がなければ質を判断しにくい商品がこれに当たります。
コンサルティング、設計、修理、士業のサービス、そして図面から起こすオーダーメイドの製造などが典型です。
こうした領域で価格を下げると、顧客は「この価格でできる程度の内容なのだろう」と受け取ります。
実際、コストを度外視するような安価なサービスは、それに見合った品質であるということが少なくありません。
一方で、規格が明確で品質を比較しやすい商品では、価格の手がかりとしての働きは弱くなります。
自社の商品がどちらに近いかを見極めることが、価格判断の出発点です。
価格の高さ自体が価値になる場合がある
さらに、価格が高いこと自体が顧客の満足を生む領域もあります。
価格の高さが、社会的な地位を示す役割や、ほかの人とは違うという満足を果たす場合です。
地域で独自の位置づけを築いている店舗や、特定の顧客層に支持されているブランドがこれに当たります。
こうした商品で顧客層を広げるために値下げを行うと、既存の顧客が求めていた特別感が失われます。
売上を伸ばすために取った施策が、最も大切にすべき顧客の満足度を下げる結果になります。
値上げをしても顧客が離れない条件
では、値上げをしても顧客満足度が保たれるのは、どのような場合でしょうか。
条件は、以下の2点です。
- それまでに積み重ねた満足度が高いこと
- 値上げの理由が公正だと受け取られること
本章では、1つ目の積み重ねた満足度について見ていきます。
2つ目の値上げの理由が公正だと受け取られることは、次の章で解説します。
満足度が高いほど、値上げ幅の影響は弱まる
値上げを告げられた顧客が、その後も買い続けるかどうか。
ここで押さえておきたいのは、以下の2点です。
- 満足度が高まるにつれて、値上げ幅そのものが与える影響は小さくなる
- 満足度の水準が、値上げの動機をどう解釈するかを左右する
特に2点目は、実務にとって重要な指摘です。
同じ額の値上げをしても、満足度の高い顧客は「事情があるのだろう」と受け取りやすく、満足度の低い顧客は「便乗ではないか」と考えやすくなります。
つまり、値上げの伝え方を工夫する前に、日々の満足度を積み上げておくことが極めて重要ということになります。
1回の満足より、積み重ねた満足のほうが強く影響する
満足度は、いくらまで払ってよいと感じるかにも影響します。
しかも、比例はしません。
ある水準を境に、支払ってもよいと感じる額が大きく伸びます。
そして、1回の取引で得た満足度よりも、長い時間をかけて積み重ねた満足度のほうが、強く影響します。
具体的には、値上げの直前に行うキャンペーンよりも、日々の対応の積み重ねのほうが、価格への耐性を作ります。
「公正な値上げ」と受け取られる理由、受け取られない理由
同じ幅の値上げでも、理由によって受け入れられ方がまったく違います。
コスト上昇の転嫁は、公正とみなされる
利益が脅かされている状況で企業が価格を上げることは、受け入れられやすい面があります。
原材料費やエネルギー費、人件費の上昇を理由とする値上げには、顧客の側にも受け入れる素地があります。
需要の増加に乗じた値上げは、不公正とみなされる
逆に、需要の変化に乗じて価格を上げることは、不公正と受け取られます。
分かりやすい例は、大雪の後に雪かきの道具を高く売る店舗です。
商品が品薄になったから、注文が集中しているから、という理由での値上げは、顧客から強い反発を受けます。
同じ金額の値上げであっても、コストが上がったからという理由とは、受け取られ方がまったく異なります。
気をつけたいのは、この2つが混ざる場面です。
例えば、受注が立て込んでいて、かつ原材料費も上がっているようなとき、「注文が立て込んでいますので」や「品薄になっていますので」などと伝えると、顧客には便乗値上げと受け取られ、満足度を低下させることになりかねません。
そうならないようにするためには、値上げの理由として需要の増加だけでなく、コストの上昇と自助努力の経過を誠実に伝えることが重要です。
なお、不公正と受け取られるのは、一時的な品薄や注文の集中に乗じた引き上げです。
継続的な品質の水準に価格を見合わせる調整は、これには当たりません。
参照価格と参照利益という考え方
顧客は過去の取引価格や市場の相場である「参照価格」に対する権利を持ち、企業は過去に得ていた適正な利益水準である「参照利益」に対する権利を持ちます。
この枠組みで見ると、コスト上昇による値上げは、企業が自らの参照利益を守るための行為になります。
一方、需要増に乗じた値上げは、企業が参照利益を超えて利益を拡大する行為であり、顧客の参照価格に対する権利を侵すものと受け取られます。
お客様に対し値上げの案内文で書くときは、この違いに十分注意する必要があります。
原材料費や人件費が上がったこと、そして、これまで自社で吸収してきたが限界に達したことを、具体的に伝えれば、顧客は自社の参照利益を守るための値上げとして受け取ってくれる可能性は高まります。
値上げで顧客満足度を落とさなかった旅館の例
2025年版の中小企業白書に、値上げと業績改善を両立させた事例が掲載されています。
福井県若狭町の有限会社岡三屋です。
従業員数4名、資本金300万円の宿泊業で、「彩(いろ)かさね」の施設名で温泉旅館を営んでいます。
仕入値が約2倍に動き、赤字で料理を出すこともあった
同社は三方五湖を見渡せる湖畔に位置し、心のこもった接客と天然温泉の浴場を備えた宿として評判を得ています。
有名料亭で修業を積んだ3代目の岡勝之社長が手掛ける料理も自慢で、冬期には地元名産の越前ガニと若狭フグを使った料理が人気を集めています。
しかし、予約は半年前から受け付ける一方で、特にカニはその年ごとの漁獲高によって仕入値が約2倍に変動することもあり、予測が困難でした。
原価率への影響も大きく、適正な提供価格の設定が難しかったため、高騰時には料理を赤字で提供せざるを得ないこともあったといいます。
新型コロナウイルス感染症の拡大時に約5割まで落ち込んだ稼働率は、8割前後まで回復しました。
しかし原価管理は課題として残っており、適正価格の算出や余分なコスト削減が進んでいなかったことが、業績回復の妨げになっていました。
銀行の助言で原価を把握し、適正価格を算出した
同社がまず着手したのは、原価管理の強化とコスト削減です。
取引銀行に毎月1回、試算表を精査してもらう中で、原価率など財務状況の改善について助言を受けました。
不要な電気代のような細かな経費削減に取り組みながら、カニなど魚介類の仕入先を2社に増やし、安い方を購入することで競争を促して原価率を改善しています。
そのうえで、把握した原価率を踏まえて適正価格の算出に着手しました。
きっかけは、取引銀行からの「立地・料理・接客などのサービス品質から見て、現状より高い価格設定でもよいのではないか」という助言でした。
同社は地域の同業者の宿泊価格を調査し、自社の強みと宿泊者数の見通し、稼働率、原価率を基に、黒字確保が可能となる適正価格を算出しています。
自社の品質を客観的に評価する視点を、外部から取り入れた点がこの事例の要点です。
値上げの根拠が「コストが上がったから」だけではなく、「この品質に見合う価格ではなかったから」という形で得られました。
ただし、この値上げ理由をそのままお客様に伝えれば、尊大な印象を与えることは避けられません。
そのため、お客様への案内文では、コストの上昇と自助努力の経過を主軸に据えました。
宿泊プランは1,000円上げ、食事プランはカニと飲み物で分けた
同社は宿泊プランと食事プランで価格設定を分けています。
宿泊プランでは、一人当たり1,000円の値上げを実施しました。
一方、食事プランは地元客の宴会利用が多くなっています。
こちらについては、仕入値に応じた価格設定が必要なカニなどを提供するプラン以外は、飲み物代のみの引き上げにとどめました。
岡三屋の切り分けには、2つの軸が重なっています。
1つは顧客層で、観光客の利用が中心と見られる宿泊プランと、地元客の宴会利用が多い食事プランを分けました。
もう1つは原価の変動で、仕入値が読めないカニを含むプランと、それ以外を分けました。
全ての顧客に一律の値上げを課すのではなく、どの層にどこまで負担してもらうかを決めたことによって、日常的に利用している地元客の負担を抑えたまま、収益性を改善しました。
3期ぶりの黒字化と、その後も続けている取組
コスト削減と価格改定の効果は業績にすぐ表れ、2023年7月期は3期ぶりの黒字化を達成しています。
同社は収益力の強化と並行して、利用者から口コミで寄せられた要望にもこまめに対応し、設備の修繕を行うなど、顧客満足度を高めるための取組も続けています。
顧客管理情報として、前回利用時の提供メニューや接客への反応なども蓄積しており、原価率を常に考えながら、常連客を飽きさせない献立の組立や心地よい接客を工夫しているといいます。
利用客の約4割がリピーターで、こうしたサービスの質を向上させる取組が受け入れられ、値上げへの拒否反応は今のところ見られないと報告されています。
さらに、増収分を原資として、従業員の賃金を約1割引き上げるなど、従業員への還元も行っています。
品質への取組を続けながら価格を上げたことで、知覚価値が下がらなかった事例です。
価格の動かし方を顧客層で分けたテーマパークの例
岡山理科大学経営学部経営学科が公開しているミニレクチャー「値上げしたのに、売れ行き好調? ~価格設定と顧客満足度の関係~」は、同様の構造をテーマパークの例で説明しています。
混雑を減らせば、値上げしても満足度は下がらない
同レクチャーは、値引きが満足度の向上につながるとは限らない例として、ディズニーランドやユニバーサル・スタジオ・ジャパンを挙げています。
両者の入場料は継続的に値上げされていますが、それによって満足度が下がっているわけではない、という指摘です。
理由として挙げられているのは、価格で来場者数を調整することによる混雑の緩和です。
どれだけ魅力的なアトラクションがあっても、そこに乗るために炎天下で何時間も並ばなければならない状況では、満足度は下がります。
同レクチャーは「人混みを緩和し、待ち時間を減らせば、値上げをしないときと比べ値上げをした場合の方が、より顧客満足度が高くなる」と述べています。
年間パスは5万円から1万8千円に下げた
同レクチャーはあわせて、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの年間パスの価格にも触れています。
かつては5万円程度だったものが、レクチャーの時点では1万8千円程度で入手できるようになっている、というものです。
通常の入場料を値上げする一方で、年間パスは値下げしています。
頻繁に来る顧客と、たまに来る顧客とで、価格を逆の方向へ動かした形です。
年間パスを持つ人は平日や閑散期にも来園するため、来場が特定の日に集中しにくくなります。
園内での飲食や物販でも収益を回収できます。
先ほど、値下げが特別感を損なう場合があるとお伝えしました。
グッチやシャネルなどのラグジュアリーブランドが値下げ販売を行わないのは、そういった理由もあります。
しかし、テーマパークの年間パスで同じ問題が起きにくいのは、その価値が「持っていることを他人に示す」ことよりも、来場1回あたりの負担が下がることの価値の方が大きいと考えられるためです。
価値がどこに置かれているかで、値下げの有効性は大きく変わります。
そのうえで、この考え方は規模の小さい事業でも応用できます。
全ての顧客に同じ価格を提示しなければならない理由は、実務上ほとんどありません。
一見の顧客には通常の価格を、長期契約者や頻繁に利用する顧客には別の料金体系を用意するアプローチのほか、岡三屋のように、仕入値の動きに応じて上げる箇所と幅を変えるアプローチも有効です。
また、テーマパークのようにサービスにより値上げと値下げを整理できれば、混雑緩和などの効果を創出し、顧客満足度を向上できる可能性も高まります。
中小企業が値上げを伝えるときの手順
事例から、値上げの伝え方には共通の形が見えてきます。
コスト上昇の事実を、数字で示す
ここまでお伝えしてきたとおり、顧客はコスト上昇による値上げを公正なものとして受け入れる素地を持っています。
そのため、値上げの案内では外部環境の変化を具体的に書きます。
企業間取引であれば、原材料費が前年比で何%上がったか、物流費が何%上がったかを数値で示します。
一般消費者向けであれば、業界全体で起きている変化を簡潔に伝えます。
「諸般の事情により」という表現では、顧客は何が起きたのかを判断できません。
判断できなければ、便乗値上げとして受け取られる余地が残ります。
原価を知られたくないという理由で、数値を出すことをためらう経営者もいます。
しかし、示すのは上昇率であって、原価そのものではありません。
上昇率だけであれば、自社の利益構造は明らかになりません。
自助努力の経過を伝える
数値と並んで重要なのが、これまで何をしてきたかです。
「これまで数年にわたり、社内の努力で価格を維持してまいりましたが、吸収しきれない水準に達しました」という一文があるかどうかで、受け取り方は変わります。
岡三屋の事例でも、値上げの前に細かな経費削減と仕入先の見直しを実施しています。
先に自社で努力し、それでも足りない分を価格に反映するという順序が、顧客への誠実な説明を成り立たせます。
この順序が逆になると、努力の余地を残したまま顧客に負担を求めることになります。
また、飲食店や小売店などの店舗ビジネスであれば、できる範囲で構わないのでメニューやレイアウトを変えるなど、努力を目に見える形にすることも有効です。
そして、この経過は事実として書ける形にしておきましょう。
何年間、どのように価格を維持してきたか。
その間にどのようなコスト削減努力をして来たのか。
交渉の場で聞かれたときに明確に答えられるかどうかで、相手の受け止め方は大きく変わります。
既存顧客には、移行期間を用意する
一度に大幅な値上げを行うと、顧客の予算にも心理にも強いインパクトを与えます。
そのため、企業間取引では、段階を分けて移行する方法が有効です。
まず数%を引き上げ、半年後にさらに引き上げるという形にすれば、相手企業も予算を調整できます。
一般消費者向けであれば、一定期日までの注文は現行価格で対応する、既存の会員は一定期間据え置く、といった経過措置が使えます。
長く利用してくれた顧客ほど、唐突な値上げの通知に対して、「これまでの関係は何だったのか」と受け取りやすいものです。
そうならないためにも、誠実で丁寧な説明と移行期間は、極めて重要です。
ただし、移行期間を設けることで、その間に代替サービスを探し、そのサービスに乗り換えをされてしまえば意味がありません。
そこで、移行期間中に商品やサービスを目に見える形で改善するとともに、保証期間の延長など契約継続に対するインセンティブを設計するなどの対応も検討しましょう。
業種によって、価格の動かし方は変わる
価格が品質の手がかりとしてどれだけ強く働くかは、業種によって違います。
自社がどの位置にいるかで、値下げの危険度も、値上げの進め方も変わります。
受託開発・制作・コンサルティングでは、値下げが品質の評価に直結する
顧客が事前に品質を判断できない領域では、価格が品質の代わりに読まれます。
受託開発、デザイン制作、コンサルティング、研修といった無形のサービスがこれに当たります。
こうした業種で見積額を下げると、顧客は「その金額でできる範囲の仕事」として期待値を下げます。
そして期待値が下がった状態で受注すると、同じ成果物を出しても評価は上がりません。
加えて、値下げをして受注した案件は、次回の見積の基準になります。
1度下げた価格を戻すことを納得してもらうためには、値上げの時と同等以上のエネルギーが必要になります。
もし何らかの経済的メリットの提示が必要な場合は、脊髄反射で値下げを選ぶのではなく、「おまけ」の提供や保証期間の延長、ライトプランの創出など、現行プランのまま値下げすること以外の中から、自社に合ったオプションを選ぶようにしましょう。
規格品の製造業は、価格以外の要素で評価されることがある
同じ製造業でも、仕様が決まった規格品を作る場合は事情が変わります。
顧客が品質を測る手がかりを複数持っているためです。
図面どおりの精度が出ているか、納期を守れるか、不具合が出たときにどれだけ早く対応するか。
価格は判断材料の1つに過ぎません。
そのため、価格を下げるより、技術力やアフターサポートを明示するほうが評価に結びつく場面があります。
2025年版の中小企業白書には、この形で値上げを実現した企業が掲載されています。
新潟県上越市のウエタックス株式会社です。
従業員数30名、資本金2,400万円で、水中スピーカーや防水マイクなどの水中音響機器を製造しています。
国内トップシェアの水中スピーカーは、アーティスティックスイミングやスキューバダイビング、レスキューなどで使われています。
同社は2018年頃から原価低減に取り組み、一度の仕入量を2〜3倍に増やして仕入単価を5%程度抑え、製品数を20種類強から半数に絞って部品の共用による合理化も進めました。
それでも円安とエネルギー価格の上昇が重なり、原価低減での対応は限界に達します。
一時は役員給与の削減で対処したものの、賃上げを継続するための原資確保が課題として残りました。
そこで同社は、2022年に全製品の15〜20%の値上げを決断します。
価格改定の根拠を丁寧に説明するとともに、保証期間の延長などサービスを拡充した提案を併せて行いました。
この時に有効だったのは、根拠の示し方です。
すでにある品質を根拠として示したうえで、保証期間の延長という追加の価値を添えています。
長年の研究開発による技術優位性と、大手企業にはできない製品仕様のきめ細かなカスタマイズ対応、迅速な修理対応によるアフターサポートの充実が支えとなり、多くの顧客から納得を得ています。
結果として顧客離れも一部あったものの、販売単価の上昇により売上を維持しました。
原価低減の効果もあって利益率が改善し、継続的な賃上げを実施できるようになっています。
小売は、価格を動かす対象を絞れる
規格が明確な商品を扱う小売業では、同じ商品が他店にもあり、顧客が価格そのものを比較できます。
価格の手がかりとしての働きは、そのぶん弱くなります。
ただし、この業種には別の選択肢があります。
すべての商品を一律に上げるのではなく、品目ごとに値上げの幅を変える方法です。
顧客が価格を記憶している商品は、扱っている品目のうちごく一部です。
日常的に購入されるもの、他店と比較されやすいものに限られます。
どの商品の価格を顧客が覚えているかを整理してから、動かす対象を決めましょう。
BtoB(企業間取引)の値上げ交渉で、事前に整理しておくこと
BtoBの値上げは、担当者との合意だけでは終わりません。
相手企業の中でも、購買部門と使用部門と決裁者が、それぞれ別の基準で見ています。
相手企業の中で、誰が何を見ているかを分けて考える
通常、購買部門は、他社との比較と、社内の予算枠を見ています。
一方、使用部門は、品質と納期、そして担当者の対応品質を見ています。
そして、決裁者は、ROI(Return On Investment :費用対効果)や、その取引を続けることの合理性を見ています。
値上げの説明を購買部門にだけ行うと、価格の比較だけで判断されます。
使用部門に、なぜ自社でなければならないかが伝わっていれば、購買部門や決裁者に対しても、競合より多少値段が高かったとしても自社を選ぶことが会社の利益に最も適うと理解される可能性が高まります。
日々の対応で満足度を積み重ねていれば、使用部門の担当者は「この会社に変わってほしくない」と考えます。
そのため、値上げの通知を出す前には、使用部門の担当者へ先に事情を伝えておくと、価格以外の現場での評価を伝えてくれる可能性があります。
価格を据え置く代わりに、条件を交換する
どうしても現行価格の維持を求められた場合に備えて、交換できる条件を用意しておきましょう。
年間の発注量を確約してもらう、支払いサイトを短くしてもらう、対応範囲を一部縮小する、といった選択肢です。
この提示には2つの意味があります。
1つは、価格を維持したまま自社の収益を守る手段になることです。
もう1つは、相手企業に「価格と条件は交換できるものだ」という前提を持ってもらうことです。
無条件の据え置きに応じると、次回も同じ要求が来ます。
注意点は、交換の条件は、通知を出す前に決めておくことです。
交渉の場で考え始めると、その場を収めるために不利な条件を出してしまいかねません。
どこまでなら応じられるかの線を、先に社内で引いておきましょう。
取引額の大きい相手ほど、早く伝える
値上げの通知は、取引額の大きい相手ほど早く出してください。
相手企業の予算編成の時期を確認し、その前に伝えるのがベストです。
予算が固まった後に通知を受け取った担当者は、社内で説明する機会がありません。
あわせて、値上げの伝達を担当者任せにしないでください。
自社の営業担当が取引先の担当者に単独で伝えると、取引先の組織内での情報の伝わり方がコントロールできなくなり、最悪の場合、望まない伝わり方をする可能性もあります。
そのため、社内で統一したツールを作成し、取引先の責任者が出席する説明機会を作ってもらうなど、会社としての対応を予め決めておきましょう。
品質の改善は、値上げの前後で止めない
ここまでの内容をまとめると、値上げの成否を分けるのは、お客様の知覚価値が下がらないかどうかです。
対比される片方である価格が上がるなら、もう片方の品質も上げる必要があります。
顧客の要望を記録し、次に反映する
岡三屋は、口コミで寄せられた要望にこまめに対応し、設備の修繕を行っていました。
先に触れた顧客管理情報の蓄積も、ここに含まれます。
この取組で負担したのは、小まめに記録し、それを振り返った手間だけです。
要望を聞き取り、記録し、次の来店時に反映する流れを仕組みとして持てば、新たなコストをかける必要はありません。
岡三屋の場合、心のこもった接客と天然温泉で以前から評判を得ており、品質の土台はすでにありました。
そのうえで、さらなる改善を値上げと並行して始め、その後も続けていました。
ここで有効だったのは、品質の土台があったことと、値上げの後も改善を止めなかったことの2つです。
品質は、値上げまでに実績として積んでおく
顧客満足度は、値上げへの耐性を作ります。
品質見合いで上げる分については、顧客がすでに実感している品質があることが重要な条件になります。
値上げの直前に慌てて改善しても、顧客には伝わりにくいですし、伝わったとしても、取ってつけたように見えてしまいかねません。
ウエタックスが値上げと同時にサービスの拡充を提案できたのは、それまでに積み上げた技術優位性とアフターサポートの実績があったためです。
値段を上げるのは値札を交換するだけですが、品質を上げるためには、不断の努力と工夫により実績として積み重ねることが決定的に重要です。
しかし、簡単な値上げを顧客に受け入れてもらうためには、困難な品質向上を絶え間なく続けることが不可欠です。
そして、だからこそ、それが実現できる企業は、競合に大きく差をつけることができるのです。
先に触れたとおり、満足度の水準は、顧客が値上げの動機をどう解釈するかまで左右します。
改善を実感している顧客ほど、値上げの理由を好意的に受け取りやすくなります。
よくあるご質問
値上げと顧客満足度について、経営者の方から実際にいただくご質問をまとめました。
競合が値上げをしていない中で、自社だけ上げても大丈夫でしょうか
原材料費や人件費の上昇を理由とする値上げは、公正なものとして受け入れられやすい面があります。
値上げの理由を誠実に説明するとともに、目に見える品質を向上させることで、受け入れてもらいやすくなるように努力しましょう。
また、別な視点として、据え置きを続けた場合に何が起きるかを考えてみることも重要です。
コスト上昇分を自社で負担し続ければ利益が削られ、賃金を上げられず、人が採れなくなります。
人が減ればサービスの質が落ち、そこで初めて顧客が離れます。
負担を引き受ける先は、顧客か、従業員か、自社かの3つしかありません。
値上げをしないという判断は、従業員か自社に負担してもらうという意味になります。
値上げの案内には、何を書けばよいでしょうか
下記の3つを順に書きます。
1つ目は、コスト上昇の事実を数字で示すことです。
仕入価格が何割上がったかを示せば足り、自社の利益構造まで明かす必要はありません。
2つ目は、自助努力の経過です。
仕入の見直しや工程の合理化で吸収してきたこと、そして限界に達したことを具体的に伝えます。
この説明が無いと、顧客には唐突な通告に見えます。
3つ目は、既存の顧客に対する移行期間です。
いつから新しい価格になるのかを早めに伝えるほど、相手も社内の準備ができます。
取引額の大きい相手ほど、早く伝えましょう。
顧客満足度が高いかどうかは、どう確かめればよいでしょうか
アンケートなどの簡易的な調査であれば、自社でも対応可能です。
もしこれまで自社の顧客満足度を把握して来なかった会社の場合には、厳密なスコアを把握するよりも、自社が概ねどのような評価を受けていて、担当者はどのように思われているのかといった情報を、なるべく早期に入手し、実際に改善に繋げていく方が重要です。
ただし、実際の調査では、取引先の協力がなかなか得られないなどの理由により、思うようにアンケート回答が集まらないということも、珍しくはありません。
そういった場合は、回答を集めるための努力で四苦八苦して長期間を要してしまったりします。
顧客満足度調査は、シンプルな内容であっても重要なことなので、もし不慣れな場合には早めに専門家にご相談することをお勧めします。
まとめ|値下げをしても顧客満足度が上がるとは限らない
値下げが顧客満足度の向上につながるとは限らず、値上げが必ず満足度を下げるわけでもありません。
顧客満足度を決めているのは、価格の安さではありません。
顧客満足度の指標が知覚価値を品質と価格の対比として定義しているとおり、判断の中心にあるのはこの対比です。
値下げは、金銭的な負担を減らす一方で、品質への評価を下げる方向にも働きます。
特に、事前に品質を判断しにくい商品では、この作用が強く出ます。
値上げをしても顧客が離れない条件は、2つあります。
1つ目は、それまでに積み重ねた顧客満足度が高いことです。
満足度が高いほど値上げ幅の影響は弱まり、1回の取引の満足より、長期にわたる満足の積み重ねのほうが強く影響します。
2つ目は、値上げの理由が公正だと受け取られることです。
コスト上昇の転嫁は公正とみなされ、需要増に乗じた値上げは不公正とみなされます。
そして、価格を据え置く判断は、顧客への配慮のように見えて、実際にはコスト上昇の負担を自社に溜め込む先送りです。
その負担がどのような形で返って来るかは、経営者には選べません。
岡三屋が実施したのは、原価を把握し、自社の品質に見合う価格を算出し、顧客層と原価の変動で値上げ幅を分け、同時に接客と設備の改善を続けることでした。
結果として3期ぶりの黒字化を達成し、増収分で従業員の賃金を約1割引き上げています。
値上げは顧客を裏切る行為ではなく、品質を維持し続けるための手段です。
もし、値上げの伝え方や自社の顧客満足度について不安に思われている方は、早い段階で専門家へご相談されることをお勧めします。
お近くに信頼できる専門家がいらっしゃらない場合は、当社でも承っておりますので、お気軽にお声がけください。